覚えているのは蔑みと同情と――怯え。
雪の白。
空の黒。
星の光。
見下ろした港には金の飾りがあちらこちらに。
緑、赤、金銀。光。ヒカリ。
キラキラ、キラキラ―――夢みたいな光景だった。
「チョッパー、お前は?なんかリクエストはあんのか?」
振り返れば煙草を咥えたままのサンジがウキウキとしたままで尋ね
る。
「今日の?何でもいーぞ!!サンジの飯は何だって美味い!」
「――当たり前だ」と言いながらチョッパーの帽子を乱暴に叩いて船
から飛び降りる。
台詞の前のつかの間の間――にっ、と笑って。
華麗に空中を舞うその姿は一度だけ遭遇したことがある、雪の草原を
走るカモシカによく似ていると思ってた。
「じゃ、留守番頼んだぞ!!」
陸の上からサンジが叫ぶ。キラキラの街にサンジの金髪はとても似
合っていて、色とりどりの光に眩しく反射した。
「うん!サンジ!今日のクリスマスパーティー、オレすっげえ楽しみに
してる!!」
船の縁に上って腕を振り回しそう言ったらサンジは一瞬だけ不思議そ
うな顔をしたが、すぐに「おう」と返し街へ紛れた。
なんだろ?オレ変なこと言ったかな?
首を傾げたがどこもおかしいことはない。
今日は12月24日で。
クリスマスイブというやつで。
この日は、故郷のあの島でも人間たちが毎年盛大に騒いでた。
昨夜、港へ着いた時にもルフィが街の装飾に騒ぎ一目散に飛び出し
て行ったりして「じゃ、明日はパーティーな!決定!」と船員たちを振
り返った時には誰もが苦笑いで答えたものだ。
キラキラと電灯が壁に巻き付けられ、赤い服を着た太ったサンタが至
る所に居る。
子供達が様々なサンタに群がり、頭を撫でてもらってる。小さな頭に
大きな手のひら。
ポン、と帽子が揺れた気がした。
その動作――。それをよくしてくれた人はもう、どこにも――居ない。
ぺんっと尻を叩かれた気がした。
その動作。それをよくする人は今はもう――遠い。
だけど、今日この日に。
「生まれてしまった日だ」と言ったら、あの人たちは瞬間だけ目を見張
りチョッパーを殴って笑った。
「めでたい日だ」と言いながら。
トテトテと主の居ない船を歩く。
でも寂しくない。今日は皆戻ってくる。
クリスマスパーティー。
心が躍る。きっとたくさんの料理が並ぶ。たくさんのお酒も。
今日はクリスマスイヴ。
「何故」と蔑まれた。
「どうして・・」と少しばかりの同情。
そして、あとは無言の―――怯え。
夕方、船員たちはそれぞれ別々に戻ってきた。ゾロだけは見知らぬ誰
かに連れてきてもらっててサンジに「また迷子になったのか」と笑われ
うんざりとした顔で返し、、船長にも「まったくお前は成長しねえな」と
言われて「てめえにだけは言われたくねえ!」と抜刀して怒ってた。
ウソップは船の飾りつけに余念がない。
あちこちにラメの入った飾りをつけ、誰かが買ったもみの木が届けられ
るとその枝に金や銀の紐で垂らすような飾りをつけた。
それをチョッパーも手伝い、船の上はチョッパーは知り得る限りの「ク
リスマス」を凝縮したものになった。
もうウキウキしてしょうがない。
ウソップが帽子にもキラキラをつけてくれたり。
ルフィがサンタの格好をしたり。
ナミも「けっこうお金使っちゃったわね」って言いながらもずっと笑って
て。
ロビンは少し離れた場所からだけど、やっぱり薄く微笑んでいた。
キッチンからはサンジの「てめえ!それはそうじゃねえっ!もっと後に
温めるんだよっ」とかの怒鳴り声。
「じゃあオレに手伝いなんか頼むんじゃねえっ!」ていうゾロの声も混
じって。
こんなキモチでこの日を迎えることがあるなんて。
信じたことなんて一回もないけど、そのおかげで今日という日が賑や
かなのなら、初めて得をしたかもと思えた。
――神様、なんて――。
「うっわ、すっげえ〜〜〜〜っ」
並べられた料理をもう食い尽くしそうな顔でルフィは眺める。だけど、
今日は「クリスマスパーティー」だからいつもよりだいぶ我慢してるよう
だ。パーティーの時だけは、ルフィはつまみ食いをしない。ちゃんと皆
で「乾杯」をしてから一気に食う。
キッチンからテーブルが運び出されて、甲板でのパーティー。
「港のキラキラが綺麗ですごいな」って言ったら、「じゃあ今日は港を
見ながらのパーティーにしましょう!チョッパー、名案でしょ?」って悪
戯を思いついた子供みたいに言ったから。
チラチラと舞い始めてる雪に「大丈夫か?」と聞けば、少しの寒さなん
か全然気にならないわ、って。よく笑うナミを久しぶりに見た気がする
のは、きっとビビと離れて少し寂しかったから、だったんだ。
でも、今日は嬉しそう。だから皆も笑って、チョッパーも嬉しい。
クリスマス、クリスマス・・・・・。生まれてしまった日だけど、今日はク
リスマス、なんだ。
「ほら」
チョッパーの前にコトン、とコップが置かれる。ゾロが置くと机がガタと
鳴ってサンジが「乱暴に置くな!」と叱ったが、悪びれない様子のゾロ
はコップに並々と酒を注いでくれた。
あんまり飲めないけど、それでも最初の一杯はいつもお酒を強請った
のはチョッパーだ。
「では・・・・・」
コホン、とウソップが立ち上がる。
チョッパーのコップよりも少し大きいジョッキを掲げて。
それを合図に皆、立ち上がった。
メリークリスマス!!
それを言わなきゃ。
チョッパーも椅子の上に昇り、皆と出来るだけ同じ目線になる。
こんなにウキウキするクリスマス。
空の上のあの人と――遠くなってしまったあの島にいるあの人にも。
「今日という日を祝って、この海の戦士ウソップ様が乾杯の音頭をとろ
うと思う。この船の頼りない連中と、これからの航海とオレ様を試すか
の如くに襲い掛かってくるであろう困難に立ち向かうべく・・」
「ウソップ、早くしろ!!」ルフィが足をバタバタさせて催促した。
「・・ったく、なんでうちの船は船長が一番落ち着きねえんだ・・・。
ま、いい。皆の衆、用意はいいな?」
一斉に頷くチョッパーの仲間達。
「では・・・・・」
「メリー・・」チョッパーも大きく声を出し。
――クリスマ・・・・
「「「「ハッピーバースデイ、チョッパー!!!!」」」」
―――――え?
ガン、ゴンとコップにジョッキが当たる。
―――――・・・え
「な〜に、呆けてんだよ!今日はお前の誕生日だろうがっ!!」
ウソップがチョッパーの青い鼻をつまむ。
「やっぱな・・。『今日のクリスマスパーティー』、だなんて言うからきっ
と分かってねえとは思ったけどよ・・」
サンジが愉快そうに言った。
「なーに?自分の誕生日忘れてたの・・?ったく、どっかの寝太郎じゃ
ないんだから・・」
「うるせえ」
「船医さんはクリスマス生まれね。素敵だわ」
笑顔。
笑顔。
今日は――クリスマス、で・・。
きょと、としたままのチョッパーに皆が笑って・・・・。
「き・・、今日・・、皆ウキウキしてた・・」
それって――クリスマスのせいじゃなくて?
小さな声のチョッパーの疑問に今度は皆がきょとんとした顔をした。
だけど、それはすぐに――やはり笑顔で。
ルフィが「お前バカだなー」と言いながら、チョッパーのコップにガツガ
ツとジョッキを当てる。
「なんで見たこともねえおっさんの誕生日だが、命日だがをオレらが祝
うんだよ。お前の誕生日のがよっぽどウキウキするじゃねえか!!!
ほんとバカだなー、ナハハハハ!!」
神様を――見たこともねえおっさん、で片付ける男。
その言葉にたいした反論もしない仲間達。
覚えていたのは――蔑みと同情、そして怯えだけだった生まれた日
を。
あの人たちのように、祝って・・・・・・、笑う。
「ほら、チョッパー」
差し出されたのは、真っ赤な木の実。それは寒い地方にたわわに実
る――林檎。
ずっと欲しかった、一つ。
顔を見上げれば、サンジが咥え煙草のままで「いらねえか?」と。
真っ赤に実る果実、まるまる一つ。
「・・・・い、る。いる。・・・ずっと・・、欲しかったんだ・・」
込み上げた涙で声が揺れた。
まだ毛が全て生え揃わなくて・・・、寒くて、寒くて・・。
兄たち、姉たちが食べ残した固い芯の部分を夢中で齧った。
鏡なんか存在さえ知らない雪に閉ざされた森の中。
自分の容姿がおかしい、なんてこと気付けなかった。
ただ分からなかった。自分にはどうして誰も何も分けてくれないのか。
新しく生まれた兄弟たちには、当然のように与えられるソレが――。
ただ寒くて。ぬくもりを求めたら蹴っ飛ばされた。
「なんだ、剥いて欲しいのか?てめえ、ヒトヒトの実食ってんだろ。だっ
たら自分の手で掴んで食え」
からかいながらも、サンジは自分のシャツで林檎を丁寧に拭いてくれ
た。
きゅっきゅっ、と表面に艶が出来て真っ赤に美味しそうに――。
言葉もなく、ハラハラと泣くチョッパーを誰もが微笑んで包んだ。
「お前、半分はヒトなんだから自分の誕生日くらい覚えろ。ゾロになっ
ちまうぞ」とウソップが言えばナミも「そうよ、あんな本能だけの動物じ
ゃないんだから、チョッパーは」と便乗する。
「オレは丸ごとヒト科だ」とゾロが唸り、「あら、そうだったの」とロビン
が悠々に返す。
丸い瞳からは、次々と涙が伝った。
鼻水までどんどんと流れる情けない顔をルフィが伸びる手で大雑把に
掻き混ぜる。
「バーカ、いつまで泣いてんだ。お前はオレの仲間だろう?だったら笑
え。嬉しい時には笑うんだ!」
それができるのはニンゲンだけなんだ、と。
半分ヒトのチョッパーに。
落ちていた見たこともない形状の実を迷わず食べた。
そうしたら、体は大きく変化して。
鏡を見なくても、もう視線を移せば分かるように自分は彼らとは違うモ
ノになってしまった。
「なんであんな得体の知れない物を食う」
「どうして、お前は違うんだ。そんなの仲間じゃない」
あとはもう――遠巻きにチョッパーを蔑視するだけの視線。
そこには疑いようのない、「怯え」という動物の本能。
兄弟たちには有り余る程に与えられるソレ。
欠片も貰えなかった。縋っても、媚びても、凍えても――決して。
サンジが艶々にしてくれた林檎をチョッパーの手に渡らせる。
とても――重かった。
林檎一つ、丸ごとがこんなに大きいなんて・・・・。
「お前は半分トナカイだからな。こうして何の手も加えてねえモンが本
当は一番、体には合ってんだろうしな・・。ほら、食えよ」
隣ではゾロがもうガブッと林檎に歯を立てている。そして一口を咀嚼し
たら「美味ぇぞ」とチョッパーに言って、だから食えと促した。
「どうして食った」と蔑まされ
「なんで食う」と少しの同情。
あとは怯えを認めた視線だけ・・・・・。
だって――ずっと。ずっと、ずっと、ずっと・・。
「ォ・・・オレ・・、ずっと、――ずっと・・お腹、空いてた、んだ」
それだけだったんだ。
ただ、お腹が減っていたから。
空腹で枯れた木の皮しか食べるものがなくて。
誰からも分けてもらえなかったものが――愛情、だと知ったのは愛し
てくれた人と出逢ってからだった。
そんなの名前さえ知らなかったんだ。
自分の持つ感情が「悲しい」とか「寂しい」とかっていうんだ、というの
も分からなかった。
「ひぅ・・・えっ、〜〜〜っ、ぅ・・わぁ〜〜〜んっ・・」
「おお、本格的に泣き出したな」と誰かが呆れたように笑った。
だけど、チョッパーの涙は床に落ちない。
テーブルから生えたたおやかなロビンの手がいい匂いのするハンカチ
で全部、全部、拭いてくれた。
「ずっと・・お腹っ、減って・・・、ソレ・・何なのか・・分かんなくて・・っ」
必死に掴んだ。真っ赤な林檎丸々一つ。
「ただ・・っ、寒くて・・・、ただ・・、お腹減って・・」
ヒトになってしまうなんて知らなかった。
だけど、それが食べれる物だったらチョッパーは何だって食べただろ
う。
誰かの懐に入れて欲しかった。
胸に抱いて眠らせて欲しかった。
美味しそうな木の実を見つけたら――分けて欲しかった。
傍に、一緒に居て欲しかった。
全部、全部――叶った。
泣き止まないチョッパーをとうとうルフィが殴って笑った。
ボカンと小突かれたなんてもんじゃない拳は痛かったけど、それでも
頭以外はどこも痛くなく。
殴られた頭をさすりながら洩れた笑いには――何倍もの笑顔が返っ
てきた。
「き、今日・・オレの誕生日なんだ・・」
残った涙を自分でゴシゴシと擦りながら教えたら「おめでとう」と言わ
れた。
あとはろうそくのついたケーキが出され、それを分けて食べた。
生クリームはとても甘い部分とそうでもない部分と分かれ、
「お前の誕生日はオレらにも、めでてぇんだから皆用のケーキだ」とサ
ンジが赤くなったままコックの顔をした。
甘いものを食べないのは一人しかいないのに。
「え・・へへ。き、今日、オレ・・生まれたんだ。生まれて・・これたんだ」
よかった。ありがとう。愛してはくれなかったけど産んでくれて。
ひひひ、と笑ったら「気持ち悪ぃ」と鼻を弾かれる。
――自慢したい。
ドクターとドクトリーヌに。「こんなに仲間にしてもらったよ」と。どのくら
い?って聞かれたら「神様よりももっと!」って。
そうすれば、あの二人はチョッパーの丸い頭をもげるくらいにゲンコツ
を埋めて、大きな声で笑ってくれるのだ。
「チョッパー、美味いか?それ」
サンジが指差す、真っ赤な林檎。まるまる一つが全部、チョッパーの
もの。
誰の残した物でもなく、つぶれた芯だけでもない。
「うん!すっげぇ美味いぞ!これ一個全部食っていいんだな!」
「お前んだろーが。でも、何の手も加えてねえもんをそんなに美味そう
に食われるとコックとしては複雑だな」
ちっとも複雑そうに見えない顔で、サンジが笑った。
メリークリスマスを言わない、クリスマス・イヴの夜。
そこに在るのは――キラキラ、キラキラの。
雪の白。
空の黒。
星の光。
<END>